Lifelog of Nozomi Uetsuki

植月のぞみが140文字で伝えきれないことを綴るウェブノート。日々徒然・政治への怒り・趣味の話・気が向いた時創作・きつねのシエロ・etc

45歳――わたしは、あと何年生きられる?

4月10日、わたしの誕生日だった。

45歳を迎えた。

今年の4月10日の曜日は、月曜日。

わたしが生まれた1978年4月10日の曜日は、月曜日だった。

生まれた日と曜日が一致する、何年に一度の日である(前回の4月10日月曜日が何年だったかは、調べていないので不明)。

 

わたしのTwitterへ、今までで見たことがないぐらいのお祝いリプライや、「いいね」がたくさんきた。

御礼申し上げます。本当にありがとうございます。

こんなわたしを、祝ってくれるなんて……。

 

45歳。

一つの節目である。

年齢だけでなく、様々なことでも「5年」ごとは、節目である。

 

誕生日が近づくにつれて、考えていたことがある。

 

「寿命、余命まで、あと何年だろうか」

「長生きすることは、ないだろう」

ということを。

 

2023年になって、有名人が次々と亡くなった。

音楽好きのわたしとしては、シーナ&ロケッツの鮎川誠、YMO坂本龍一高橋幸宏が亡くなったことは、大きな衝撃だった。みんな、70代で亡くなった。

70代になると、病気に侵され、亡くなる確率が一気に高くなることを感じた。

 

仮に、私の寿命が70歳と仮定すると、あと25年。

人によっては「あと25年、生きていく時間がたくさんあるよ」と安心するかもしれないが、この間の時の流れの早さを考えると「時間がない」と感じる。

 

上記の文章を読んで、「いやいや、人生100年時代だから、100歳まで生きられるかもよ」と思う人もいるかもしれない。

わたしは、100歳まで生きられると思えない。

定年退職したら、数年後に孤独死もありえるのではないか、と思っている。

日本が、次の戦争の準備に国家予算をつぎ込み、社会保障・福祉予算を毎年削減している政治、貧富の格差がグロテスクに拡大し、格差の是正すらやらない政治――自民党が「正当」とし、国民が「仕方ない」と社会変革を忌避する状況――で、安心して100歳まで生きていける保障があるのだろうか。

 

絶望が先行してしまう。でも、希望を捨てたわけではない。だけど、日本社会が一気に「生きやすい日本」がいつになるのかはわからない。

そんな世の中である。

 

それでも……、いつ尽きるかわからない命、しっかり使わねば、と思っている。

 

まずは、来年の4月10日まで、生き延びたい。

 

重ねてとなりますが、わたしの誕生日を祝ってくれた、すべての皆様、ありがとうございました。

 

追伸

本当は「45歳になったので●●を始めます!」を書きたかったのだが、仕事多忙、私事多忙で、45歳になって始めたいことが結局見つからなかった。

「日本の春」を我々の手で起こせ――4月9日に向けて

またまた開店休業状態が続いてしまった。

前回書いたのが、2023年元日だった。

Twitterにのめりこみやすい、ブログに向きあわない自分にいら立つ。

 

今日の午後、ようやく、いまの「苦しみ」を書き記した。

詩と言えるのか、言えないのか、よくわからないものをご一読いただきたい。

 

Cry - Lifelog of Nozomi Uetsuki

 

4月に入った。

わたしの誕生月である。近いうちに誕生日が来る。

わたしのTwitterのプロフ画面で、風船が上がっていたら誕生日である。

3月と4月は、何かと苦しい月である。

誕生の季節なのに。

春が好きな季節ではあるが、メンタルの調子が狂うので嫌いな季節でもある。

「春は、体調崩しやすい」と言われている季節だが、メンタル疾患のあるわたしは、もろにくる。

 

わたしに、喜びの春は来るのだろうか。

いろんな意味で、である。

 

「生きててよかった」と思える春。

「安定して生活ができる」と思える春。

 

わたしが大人になってから、そんな春がないような気がする。

いや、わたしの記憶がある限り、そんな春はない。

幼少期にあったかもしれないが、忘却している。

 

でも、自然は律儀に、春に百花繚乱を人間に見せつける。

自然にとって、春は喜びだ。

 

日本に生きるすべての人間にとって、「春」は来るのだろうか。

社会運動的用語で「春」は、民主化運動を差すことがある。

20世紀には「プラハの春」が起こり、2010年代には「アラブの春」があった。

 

日本において「日本の春」は、あったのか。

 

残念ながら、未だにない。

日本社会の「春」は、わたしたちが、自分で考え、自分で何かの行動をしない限り、永遠に来ない。


わたしたちは何十年も、保守・反動政治に苦しめられている。

政治の犠牲になり、死を選んだ人々は数知れず。

 

わたしも政治に苦しめられている。

永田町の連中のせいで、生きづらい人生を送っている。

だから、わたしは「春」を起こすために、選挙で投票している。

 

統一地方選挙をバカにしてはいけない。

公共破壊の政党、差別主義思想の政治家を、地方議会に送り込んではならない。

 

選挙というのは、そのためにある。

 

日本社会の「春」を我々の手で起こせ。

 

民主主義が、ある日突然、国家権力から奪われてからでは、遅いのだから――香港みたいに。

 

生きづらさから解放される「春」が欲しいなら、18歳以上の大人が、責任もって起こそうじゃないか。

 

4月9日に。

Cry

搾り取られ

 

    空白が

 

搾り取られ

 

    体力が

 

搾り取られ

 

   視野が

 

搾り取られ

 

    言葉が

 

搾り取られ

 

    自由が

 

 

欲しい

 

        空白

 

欲しい

 

        体力

 

欲しい

 

        視野

 

欲しい

 

        言葉

 

欲しい

 

        自由

 

        自由

 

        自由!

絶望しながら2023年を始める

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します

(形式として、おめでとう、と書きながらも、本音を言えば、日本はすでに、生き地獄のディストピアなので、全くおめでたくない。何がめでたいのだろう)。

 

2023年が始まった。

今年は帰省していないので「お正月」らしいことは、全くしていない。

元日と1月2日は、多忙で先が進んでいない、ニンテンドーDS版「ファイナルファンタジーⅢ」のプレイに没頭していた。


f:id:nozomi_uetsuki:20230103152730j:image

わたしの中では、1月2日から「日常」の生活リズムに戻そうかと思った。時計がわりに聴くFMラジオは、正月も通常放送だからだ。

ところが元日の夜、「日常」に戻すことをやめよう、と考えを変えた。

 

怖くなった、日常に戻すのが。

 

願わくば、今年の12月31日まで、ゲームに没頭したい……。

そうすれば「日常」の労働や、不条理な現実を見なくて済む。

 

結局2日は、12時30分まで寝て、遅い朝食とは言えない昼食をとり、起床から90分後、ファイナルファンタジーⅢに没頭した。

「ゲームに没頭したい」という願いは空しく、本日3日から、通常の生活リズムに戻し、いよいよ、明日4日から、プライベート時間をごっそり奪われる「労働」へ移行する。

 

今のわたしに、一番必要なのは、時間だ。

有休含めて6日間の休暇だったが、時間の有効活用が下手なわたしには、短い時間だった。

「労働」を恨む気持ちになる。
「労働」を真剣にやっているのに、給与は全く上がらない。
しかし、わたしの働く会社は、利益が毎年出ており黒字だ。
黒字なのに、長時間で安い給与しか支払わない、という状態は「搾取」があるといっても、言い過ぎではない。
現代の「労働」は、本当に人生を豊かにするものになっているのか。
大切な自分の時間をたくさん割いて、8時間働く必要があるのか。
21世紀に入って、テクノロジーや思想は進化しているのだから、もっと国家権力へボトムアップしてもいいのだが、日本は、社会運動・労働運動が弱いので、権力の思うがままである。

2023年、わたしの中では、絶望しかない。
しかし……、生きていかなければならない。
絶望の中でも、わずかな光を目指して、生きていかないといけない。

そう思いながら生きていこう。
艱難辛苦の中の楽しみと付き合いながら。

さらば、狂気の2022年

10月下旬、はてなブログを開設したのはいいのだが、10月末にアップして以降、開店休業状態になってしまった。

何か書き残したいと思い、2022年も残り40分となった2022年12月31日23時20分から書いている。

 

2022年を振り返る。12月30日にTwitterで、思うがままに2022年を振り返っているが、Twitterで書ききれなかったことを書く。重複もあるかもしれないが。

世相について。

最悪だ。政治も、経済も、人権状況も、日本の何もかもが。

この国は「先進国」と名乗ってはいけない。「後進国」である。
政治や経済などの過去の失敗をまともに学ぼうとせず、特定の利権集団とそれらを支持する富裕層しか豊かになれない国家制度を構築しようとしている。

「人間の命より、カネと戦争準備」に勤しむこの国。

わたしは何度、都会のど真ん中で、

「岸田自民公明政権と維新のバカ野郎!バカ野郎!!バカ野郎ーーーーー!!!!!」

と、叫んでやろうと思ったことか。
結局、叫ぶことはしていないが。

気が狂いそうになったことが何度もあった。

しかし、日本のマジョリティは、気が狂っていないようだ。
「仕方ない」と思って、ポーカーフェイスで2022年最後の日を過ごしているようだ。
お祭り騒ぎに身を委ねて。

わたしは、お祭り騒ぎに乗れないし、ポーカーフェイスになれない。

こんな状況、来年も、10年後も続くのだろうか。

わたしは耐えられないし、こんな日本で、長生きしようと思えない。

老後が怖い。
2022年、わたしの脳内で、豊かな老後が想像できなくなった。
今のお年寄りで、活き活きとしている人は、ほんの少数だろうと思う。
無事に豊かな貯金を確保できて、年金も日々の生活で十分足りるぐらいもらっている。
しかし、わたしの住む街のお年寄りは、どこか「絶望」の影がつきまとっている人が多い。
日本の多くのお年寄りは、そんな状況だと思う。

お金が尽きたら、孤独死するだろう。そんな想像を何度もしてしまう。



あと10分で、2023年1月1日。
こんな気が狂いそうな状況、悲観させる状況を、2023年で終止符を打たないといけない。

「それは無理だろ、何言ってんだ!」

わかっている。今すぐ変わりはしない。
2023年1月から12月で、一気に変わりはしない。

でも、わたしを含む弱者、貧困当事者が、気が狂いそうになり、悲観する状況は、心身を病へと導く。
精神疾患が悪化する。

わたしとしては、一刻も早く、戦争を望み、特定の利権や富裕層が豊かで人間らしく暮らせる日本が早く終わってほしい。

人間らしく生きることができないのだ。

社会的弱者の叫びを聞け!
抑圧された者の叫びを聞け!
われわれを殺すな!

殺すな!殺すな!!殺すな!!!


2023年まで、あと5分。

ろうそくの灯のような、小さな小さな望みを、

2023年に託す。

「植月のぞみ」の由来

[noteからの再録 2020年6月15日]

 

私の名前は「植月のぞみ(うえつき・のぞみ)」。
自己紹介で先述しているが、ペンネームであり、名前は「のぞみ」でも、性別は男性である。
私の本名は、典型的な名字、かつ、男性の名前なので、ペンネームぐらい私自身が名付け親になりたいと思った。
そこで今回は「植月のぞみ」の由来を書こうと思う。

 

「植月」の由来

 

私の誕生月は4月。人も自然も初々しさに満ちる4月が好きだ。4月の別名は「卯月」だが、別の名称では、稲の苗を植える季節だから「植月(うづき)」という呼び名もある。私は卯月よりも「植月」の方が、自然や緑の薫りを感じて気に入ったので、名字に採用した。
※ただし「植月」の読みは「うづき」とせず、「うえつき」とした。

 

「のぞみ」の由来


私は、語句そのものに未来を感じる「望」や「希望」という言葉が好きだ。「望」「希望」を名前にしてもよかったのだが、ペンネームだったら平仮名がいいと思ったこと、女性の名前のイメージが強い「のぞみ」を男性が名乗っても悪くはないのではと思ったこと、そして「中性」的な名前に私自身憧れがあったので、平仮名の「のぞみ」を名前にした。

 

以上、「植月のぞみ」の由来である。自画自賛みたいで恐縮だが「これぞペンネーム」といえるものを、初めて自分自身で生み出せたことに喜びと愛着を感じている。この文章をみたら「植月のぞみ」と思っていただけるnoteの記事や作品を生み出せていけるように、研鑽を積みたいと思っている。

 

番外 アイコン猫「にょぞみ」の由来


平仮名「な行」を猫語(?)変換すると「にゃ、に、にゅ、ね、にょ」。「のぞみ」の「の」を「にょ」に変換したものである。猫好きの皆様ならピンときますよね(笑)。

初めまして "Lifeklog of Nozomi Uetsuki" 始めます

皆様、こんにちは。

植月のぞみ(うえつき・のぞみ)と申します。

ペンネームです。本名ではありません。

大阪に住んでいる、旅や鉄道や本や納豆やきつねのぬいぐるみが好きな、戦争や差別、貧困のない平和な世界と日本を希求する庶民です。

 

Twitterユーザーの方は、もうお馴染みかもしれませんが、SNSよりもブログが好き、というパワーブロガーの方には「初めまして」の人がほとんどだと思います。

わたしはSNSが流行る前からブログを愛好しています。過去に様々なブログを渡り歩き、この2年は「note」で書いていましたが、原点回帰でブログに戻ってきました(noteは近々退会、ブログ閉鎖予定です)。

とはいえ、ネットにおける主なわたしの住処はTwitterです(笑)。

ブログタイトルの下に書いてある通り、このブログは140文字で伝えられないことを書いていく場です。

わたしが「140文字以上、連ツイでも書き足りない!」と思った時、不定期で記事を書きます。

書きたくない時は、開店休業状態になる場合もあります(そうならないようにしたいのですが)。

 

Twitterをやっていると、長文を書く力がなくなっていると感じます。

時折、長文を書かないと、文章力が落ちると感じます。

新しくブログを作った背景には、文章力トレーニングを兼ねているところがあります。

以上、わたしの喜怒哀楽を交えつつ、様々な記事を書いていきたいと思います。

わたしが書く内容は、日常や趣味の話から、政治の話まで幅広いです。

様々な話題にお付き合いいただけたらと思います。

 

一つお断りですが、拙ブログでは、炎上防止の観点からコメントは受け付けていません。
わたしのブログの感想を書きたい人は、Twitterへ感想をお書きください。

申し訳ございませんが、その点ご容赦ください。

それでは、"Lifeklog of Nozomi Uetsuki"を始めましょう。