絶望しながら2023年を始める
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します
(形式として、おめでとう、と書きながらも、本音を言えば、日本はすでに、生き地獄のディストピアなので、全くおめでたくない。何がめでたいのだろう)。
2023年が始まった。
今年は帰省していないので「お正月」らしいことは、全くしていない。
元日と1月2日は、多忙で先が進んでいない、ニンテンドーDS版「ファイナルファンタジーⅢ」のプレイに没頭していた。
わたしの中では、1月2日から「日常」の生活リズムに戻そうかと思った。時計がわりに聴くFMラジオは、正月も通常放送だからだ。
ところが元日の夜、「日常」に戻すことをやめよう、と考えを変えた。
怖くなった、日常に戻すのが。
願わくば、今年の12月31日まで、ゲームに没頭したい……。
そうすれば「日常」の労働や、不条理な現実を見なくて済む。
結局2日は、12時30分まで寝て、遅い朝食とは言えない昼食をとり、起床から90分後、ファイナルファンタジーⅢに没頭した。
「ゲームに没頭したい」という願いは空しく、本日3日から、通常の生活リズムに戻し、いよいよ、明日4日から、プライベート時間をごっそり奪われる「労働」へ移行する。
今のわたしに、一番必要なのは、時間だ。
有休含めて6日間の休暇だったが、時間の有効活用が下手なわたしには、短い時間だった。
「労働」を恨む気持ちになる。
「労働」を真剣にやっているのに、給与は全く上がらない。
しかし、わたしの働く会社は、利益が毎年出ており黒字だ。
黒字なのに、長時間で安い給与しか支払わない、という状態は「搾取」があるといっても、言い過ぎではない。
現代の「労働」は、本当に人生を豊かにするものになっているのか。
大切な自分の時間をたくさん割いて、8時間働く必要があるのか。
21世紀に入って、テクノロジーや思想は進化しているのだから、もっと国家権力へボトムアップしてもいいのだが、日本は、社会運動・労働運動が弱いので、権力の思うがままである。
2023年、わたしの中では、絶望しかない。
しかし……、生きていかなければならない。
絶望の中でも、わずかな光を目指して、生きていかないといけない。
そう思いながら生きていこう。
艱難辛苦の中の楽しみと付き合いながら。