Lifelog of Nozomi Uetsuki

植月のぞみが140文字で伝えきれないことを綴るウェブノート。日々徒然・政治への怒り・趣味の話・気が向いた時創作・きつねのシエロ・etc

「日本の春」を我々の手で起こせ――4月9日に向けて

またまた開店休業状態が続いてしまった。

前回書いたのが、2023年元日だった。

Twitterにのめりこみやすい、ブログに向きあわない自分にいら立つ。

 

今日の午後、ようやく、いまの「苦しみ」を書き記した。

詩と言えるのか、言えないのか、よくわからないものをご一読いただきたい。

 

Cry - Lifelog of Nozomi Uetsuki

 

4月に入った。

わたしの誕生月である。近いうちに誕生日が来る。

わたしのTwitterのプロフ画面で、風船が上がっていたら誕生日である。

3月と4月は、何かと苦しい月である。

誕生の季節なのに。

春が好きな季節ではあるが、メンタルの調子が狂うので嫌いな季節でもある。

「春は、体調崩しやすい」と言われている季節だが、メンタル疾患のあるわたしは、もろにくる。

 

わたしに、喜びの春は来るのだろうか。

いろんな意味で、である。

 

「生きててよかった」と思える春。

「安定して生活ができる」と思える春。

 

わたしが大人になってから、そんな春がないような気がする。

いや、わたしの記憶がある限り、そんな春はない。

幼少期にあったかもしれないが、忘却している。

 

でも、自然は律儀に、春に百花繚乱を人間に見せつける。

自然にとって、春は喜びだ。

 

日本に生きるすべての人間にとって、「春」は来るのだろうか。

社会運動的用語で「春」は、民主化運動を差すことがある。

20世紀には「プラハの春」が起こり、2010年代には「アラブの春」があった。

 

日本において「日本の春」は、あったのか。

 

残念ながら、未だにない。

日本社会の「春」は、わたしたちが、自分で考え、自分で何かの行動をしない限り、永遠に来ない。


わたしたちは何十年も、保守・反動政治に苦しめられている。

政治の犠牲になり、死を選んだ人々は数知れず。

 

わたしも政治に苦しめられている。

永田町の連中のせいで、生きづらい人生を送っている。

だから、わたしは「春」を起こすために、選挙で投票している。

 

統一地方選挙をバカにしてはいけない。

公共破壊の政党、差別主義思想の政治家を、地方議会に送り込んではならない。

 

選挙というのは、そのためにある。

 

日本社会の「春」を我々の手で起こせ。

 

民主主義が、ある日突然、国家権力から奪われてからでは、遅いのだから――香港みたいに。

 

生きづらさから解放される「春」が欲しいなら、18歳以上の大人が、責任もって起こそうじゃないか。

 

4月9日に。